興風会の誕生

興風会の設立と会館の建設

野田市の茂木・髙梨の醤油醸造家は、事業発展のため大正6年に合同して野田醤油株式会社を設立しました。これを支援する経営者団体として組織されたのが、合名会社千秋社です。昭和3年11月10日、昭和天皇の御大典(天皇陛下が高御座にお登りになり、天下に君臨なさることを中外にご宣示になる)を記念し、それに先立つ同年11月3日、千秋社から552,500円の寄附をいただきました。552,500円は、当時の物価が現在の1/5000と考えると、現在の価値で27億6250万円になります。これを原資として財団法人興風会が設立され、翌昭和4年4月4日、文部大臣及び内務大臣の認可を得て発足しました。なお、会館については、地上4階地下1階、敷地面積465,5坪、建築面積171,494坪、建築延坪562,158坪、最高地点までの高さ69尺5寸(約21m)、大ホールの観覧席定員1112人で、野田醤油株式会社隣接の地に昭和4年1月起工、同年10月19日までに完成し、同日竣工開館式(会館落成式)を挙行いたしました。建築予算は11万円(現在の価値で約5億5000万円)でした。

建設中の会館2

上の写真は、昭和4年建設中の興風会館

会館上棟式

昭和4年、会館屋上での棟上げ式

  開館当初の事業について

昭和4年10月19日竣工時は、①教化事業、②保健娯楽事業、③救済事業を3つの柱として開始いたしました。また、同年11月14日、野田町より図書3225冊の寄贈を受け、11月20日から会館内に図書館を開館しました。

開館当初の興風会の主な目的と活動として次の10項目が掲げられていました。

1.教化に資すべき講演会、展覧会等の開催 2.円満な生活の根底たる知識技能の涵養に資すべき研究会、講演会等の開催 3.穏健で民衆的な娯楽の開催 4.公正な批判力の育成と知識の吸収に資すべき図書の閲覧及び貸し出し 5.職業紹介及び人事相談事業 6.免囚保護(現在の更生保護)及びその他社会事業の援助 7.巡回医療施設等の救護事業 8.本会の目的に沿った事業、集会、談話等に対し会館の貸与 9.教化に関する冊子及び会報の編集配布 10.その他必要と認める事項

具体的に、『1については、外交、政治、教育、経済、産業、軍事、宗教、思想、衛生、体育、婦人、文芸、時事問題に関すること。 2については、育児、裁縫、料理、音楽、生け花、茶の湯、結い髪、編み物、栽培、廃物利用、家庭副業等に関すること。 3については、主に祝祭日、休日または土日を利用して開催し、その内容は次の通りとする。』とあります。① 活動写真映写、管弦楽、吹奏楽、和洋歌曲、舞踊 ② 講談、浪花節、謡曲、琵琶、落語、演劇、奇術等 ③ 囲碁、将棋等の娯楽機関を備える

※ 興風会館の開設に先立つ大正12年9月には、野田町に活動写真や演劇舞台の常設館である『共楽館』が創設されています。

また、4については、昭和4年11月14日、野田町立図書館(前身は、青年団体『戊申会』が大正10年に設立した「野田戊申会簡易図書館」。野田町が学制発布50年の記念事業として大正12年に譲渡を受けたもの。)より書籍3,225冊の寄贈を受け、1階奥の一室が公開の書庫として、隣接する二室はそれぞれ成人及び児童のための閲覧室として昭和4年11月20日より開館しました。

会館見取り図S3.12

昭和3年12月に作られた会館の設計図(地下と1階部分)

図書館の初代館長は、興風会主事の杉本幸雄氏が兼務しました。後、昭和15年の皇紀2600年を記念して千秋社より50,000円(当時の物価が現在の1/2400と考えると、現在の価値で1億2000万円)の寄附を受け、当時の「柏屋裏防火地帯」に独立した館舎を建設することといたしました。途中、建築費用が不足したものの、野田醤油株式会社茂木七左衛門社長から建築費として20,000円、図書購入費として10,000円の寄附があり、昭和16年1月23日起工、同年10月19日に竣工式が行われました。なお、昭和16年には、図書館の蔵書の数は15,676冊となっていました。  10については、遙拝式、祝賀会、招魂祭、追悼式、敬老会、篤行者表彰、優良乳幼児選奨等、公民道徳の涵養に資する計画実施または援助がこれにあたります。遙拝式とは、(皇居(宮城)の方向に向かって敬礼(遥拝、拝礼)する行為のことで、日本国民に天皇への忠誠を誓わせる行為の一つであり、君が代の斉唱、日の丸の掲揚、御真影への敬礼とともに、宮城遥拝も盛んに行われた。特に第二次世界大戦中には、天皇へ忠誠を誓わせて日本国民の戦意高揚を図る目的で、宮城遥拝は盛んに行われていました。